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Ullambana

*Ullambana:ウランバナ:逆さ吊り

7月15日は盂蘭盆会です。

ご先祖さまが迷わず家に帰ってきてくれるよう「迎え火」を焚いてお迎えします。
小さい頃は母と火の番をする時間に祖父母の話を聞くのがとても好きでした。
そんな思い出がよみがえるお盆の季節。

皆さんはどんな時間を過ごしましたか?

盂蘭盆会は「盂蘭盆経」で説かれている「親孝行の教え」に由来しています。

盂蘭盆会が「親孝行の教え」・・・・
私たちの生活ぶりをみて、安心してもらえる私たちであるかと、ふりかえり、思いを巡らせることによって、亡くなった今も親孝行ができるのです。

さてさて、諸説あるようですが
ここで≪盂蘭盆の伝説≫を紹介したいと思います!

盂蘭盆の伝説

釈尊の弟子の一人、神通第一と呼ばれた目連尊者がいました。目連尊者の母は生前、自分の子が一番で、生涯にわたって他人を思いやることがなかったと言われておりました。
ある時、目連尊者は、亡くなった自分の母を神通力で探すと、餓鬼道に落ちて苦しんでいるのを知りました。
逆さまに吊りにされ、喉を枯らし飢えている母の姿を見て哀れに思った目連尊者は、母に食べ物や飲み物を差し出し、少しでも苦しみから解放させてあげようとしました。しかし、母が口に入れようと思うと、火が出て燃え上がり、さらに母を苦しめる事態となってしまったのです。
そこで目連尊者は、どうしたら母を救えるのか釈尊に相談します。そこで釈尊は、夏の修行期間(安居)が終わった旧暦7月15日に、すべての比丘に食べ物を施せば、母親にもその施しの一端が口に入るだろうとお答えになりました。
そして目連がそのように実行したところ、母親が餓鬼道から救われ生天したと説かれています。

親孝行と先祖供養

立正佼成会では、法華経に示された教えの身近な行いとして
■親孝行
■先祖供養
■菩薩行
を示しています。

両親を敬い、父母によく仕えることを「孝行」といいます。親孝行は両親が存命のうちに…と言われますが、両親が元気なうちに孝を尽くすことが、なかなかできません。
気恥ずかしさもあるでしょうし、心のどこかに「ずっと元気でいてくれるはず」という願いにも似た思いがあるからかもしれません。それで、亡くなって初めて親の恩の大きさを痛感し、生前の親不孝を悔やむ人が少なくないのです。

日々をていねいにすごし、誠実に、人に喜ばれるような生き方をすること—–この親孝行の具体像を菩薩行と重ねると、親孝行も先祖供養も菩薩行も、根本においては一つです。

会長先生からは、具体的に親やご先祖さまに「安心してもらえるような生き方をしよう」と教えてくださいました。

参考:『佼成』2021年7月号
https://www.kosei-kai.or.jp/kaichohowa/201107/#target/page_no=1

より具体的にいうと
◇暮らしの一つ一つに、ていねいにとりくむ
◇日々を明るく、楽しくすごす
◇人に喜ばれるようなことを誠実に行う
だそうです。

たとえすでに親が他界されていたとしても、自分の子どもたちがこのように生きていてくれていたとしたら、きっと安心してくれるのではないでしょうか。元気に暮らす両親にとっても、わが子が誠実に生きて、まわりの人に喜ばれることは何よりもうれしいことです。

もちろん、お墓や仏壇・ご宝前へのお参りは、それ自体が親孝行です。そして、それは親や先祖に手をあわせるからという理由だけでなく、その姿勢がすでに「自分の命の根源に感謝できる人間」に成長している証だからです。
活かされているありがたさに目覚めることが、先祖供養の出発点なのです。

ライター:習学部